《天下無敵のポップアジテイター!》


「あのピッチャーマウンドで歌いたいなぁ」から、
東京ドームへ交渉に行きインディーズ史上初の東京ドームライブ敢行。

「手売りしてくるんでここでやらせてください」から、
渋谷AX(1500人収容)でワンマン敢行。

またあるときは、NYのパンクの聖地 CBGBにて「このフェス出たいんですけど!!」から『CMJ MUSICMARATHON』(坂本龍一氏etcも過去出演)に自力交渉の末出場などなど…。

挙げ出したらキリがない逸話を持ち前のバイタリティで現実に変えていくこの男。

とことんポップな楽曲、ライブ狂から初心者までに、心も体もすべてをさらけ出せる環境をコーディネートする、振り切ったライブのスゴさが只今口コミで浸透中!

 


【2000年〜2003年】
ー 19歳で華々しくメ ジャーデビューも。。レコード会社の消滅により一度目の失敗 ー

SONY MUSIC内アンティノスレコードからデビューするもメジャーデビュー3年目、枚数もチャートもオリコン左ページをどんどん上 昇するもブレイク寸前でレコード会社消滅という事態に見舞われ、CDが思うように出せなくなってしまったサカノウエ。

レコード会社の備品やスピーカーを調達し下北沢にある、40畳もある地下一階のドライフラワーの保管倉庫に住みそこで絵を描いたり曲を作ったりと黙々と次なるチャンスを待つも実らず...


【2004年〜2007年】
ー自力現地交渉で海外フェス出演やイベント等のアメリカ横断海外武者修行 ー

キャンピングカー1台で生活しながら全国を回り資金を稼いだサカノウエ。
その資金を片手に長距離列車等で移動しながらニューヨーク、メンフィス、ニューオリンズシカゴ、ロサンゼルスと、アメリカ横断武者修行の旅に出る。

ニューヨークでは、CBGB(パンクの聖地と呼ばれる老舗ライブハウス)に乗込み一週間交渉の末、オーディションをパスしてのCMJ MUSIC MARATHON(過去には坂本龍一氏やTHE BLUE HEARTSも出演)のフェスにいきなり本戦出場。

ニューオリンズでは老舗CLUBFUNKY PIRATE CLUBに飛び入りライブ日本語歌唱によるまさかの大ブーイング、シカゴではニューヨークのフェスの噂を聞いた縁でまさかのANIME CENTRAL(過去に中川翔子さん等も出演)に出演(w/HIGH AND MIGHTY COLOR)シカゴのヒルトンホテルにて3000人の前で熱唱。


【2007年〜2008年】
ー東京ドームに一人出向き「ピッチャーマウンドで歌わせて下さい」と自力交渉。
インディーズ史上初の東京ドーム公演敢行 ー

アメリカから帰国後、尾崎豊トリビュートに参加したり、手売りで全国を回りながら渋谷AXワンマンを敢行するも海外武者修行などで直接「歌わせてください」と自力交渉をなどの経験から掴んだ「自分で事を起こして伝えて行く」、そんな自分の音楽スタイルのスタートを宣言するのにふさわしい場所を考えた時、ふと思いつく。。。

「あのピッチャーマウンドで歌おうっ」と東京ドームに一人出向き交渉、何度か不審者に間違われ追い出されるも、まさかの東京ドームの専務とお会いする事が出来、見事、インディーズ史上初の東京ドームライブを敢行する!!
お正月にライブを敢行したこともあり(ジャニーズさん、K-1などの興業の間にサカノウエのライブが並ぶというラインナップ!)めざましテレビなどやスポーツ新聞などにも取り上げられ話題になる。


【2009年〜2010年】
ーそんなスタートを堂々と東京ドームで宣言するも
そこから繋いでいく活動の仕方がわからず二度目の失敗 ー

現実はそんなに甘くは無く、東京ドームライブ後、代々木野外音楽堂でのフリーライブなどを経ていくつかレコード会社から声がかかるも、途中で話しは破綻。
途方にくれる間にあえなく、サカノウエが率いてきたバンド(SPIRAL SPIDERS)も活動休止。

そしてステンシルアートというスプレーアート(BANKSY,NICK WALKER等に代表されるストリートアート)に没頭する間に音楽から離れ、東京も離れ、江ノ島へ移住。。

某音楽事務所にて某音楽プロデューサーの運転手等の家事見習いや、花屋さんを自分でやりはじめ、表参道ヒルズ内にあるアパレルブランド「イリアンローヴ」の店内ディスプレイをプロデュースさせてもらう等、音楽以外の活動で傷心を洗う日々。


【2011年〜】
ーまさかの楽曲提供。。まさかのアルバムレコーディング。。
まさかのたった一度のライブから火がつき。。アルバム発売決定っ!! ー

幻のフリーペーパーと呼ばれる美少女図鑑のモデルとして沖縄から2011年にデビューしたアイドル、”ヒガリノ”さんがサカノウエの曲をカバーしてCDデビューするという話が持ち上がる。
元来、”そこそこ楽しませるより楽しませ切る”、”そこそこ踊らせるより踊らせ切る”常に見る人の予定調和を裏切り続けるポップアジテイターとして、生粋のポテンシャルの高いライブパフォーマンスに定評のあったサカノウエライブ。

楽曲提供の話も追い重なり、2年ぶりのたった一度のライブがたまたま音楽関係者の目にとまりツイッター等の情報共有サイトの伝播力も手伝って、そこから噂があれよあれよと広まり出す。

そこからものの半年でレコーディングの話が舞い込み、リリースが決定し、カミングコーベ等のフェスにも出演決定(14000人来客)渋谷、梅田、神戸などのタワーレコードインストアツアー、ショッピングモールツアーが決定するなど、まさに神出鬼没なその勢いは留まることを知らず、しなやかに加速、上昇しつづける、「東京ドームはいつかやりたい場所では無く、帰る場所だ」と、もう一度、東京ドームのピッチャーマウンドのステージに帰るべく、2011年、6月3日、1st mini album 「THE POPS」で新たなスタートを切る!!